制作日記2/5

更新が止まっていました。制作も止まっていました。仕事で精神が追い込まれていたのと、バンドのライブが2/9に控えているのでそのことであたまがこんがらがっていたのでした。自分の曲聞きすぎて若干飽きてしまったというのもある。

 

昨日の日曜日は久しぶりにこころが穏やかになれる状況だったので、午前中は部屋の掃除や洗濯をして布団も干して気分を一掃。午後から制作に取り掛かりました。

 

アンビエントノイズポップの打ち込みのし直し。この曲は以前にある程度まで作っていたので、最初はその雰囲気を踏襲しようと思っていただけれど、打ち込み始めるうちに最終的には全てを一から打ち込むことになった。夕ご飯を挟んで夜まで休み休み制作してなんとかベースドラムはほぼほぼ打ち込みが完了。あとは上物を調整する感じまでこれた。やっていくなかでリズムを大幅に変えたので、BPMすら変え、途中のノイズセクションも尺を短くしたりした。なんとか形になってきたと思う。

 

自分のなかでこの曲のアレンジを考える際、できるだけシンプルに、そしてベタになるようにしようと意識した。ベタ、というのが自分のなかではいままであまりない価値観で、人がすでにやっている下世話なアレンジとか、わかり易い展開・構造は、やはり聴く人にとってわかり易いからそうなのであって、それをことさらに憎む必要はないのではと思ったので、意識するようになった。バンドのなかでいろいろアレンジや方針の話をしているときにそのような話がでて、確かにな、と思ったので、そういう考えがあたまにあったんだと思う。サチモスのはやっている曲は確かにベッタベタなメロディにコード進行だけど、あのサチモス自体がもつおしゃれさが時代にマッチしていた。星野源の曲もそうだ。それをいいとは僕は思わない。これは金曜の夜、阿佐ヶ谷でデザインをやっている会社の友人と話たときにもおもったのだけど、いい曲には時代にマッチしていたり、その人が歌うからこそ出る魅力、というのが必ずある。でも、いまも残っている本当の名曲は、それを抜きにしてもなお名曲たる所以があると思う。飲み屋にいくと必ず誰かが赤いスイートピー夜空ノムコウを歌う。確かに、松田聖子SMAPが歌うから、だったり、それぞれ80年代、90年代終わり、という時代的なことと明らかにマッチした大名曲だと思う。だけど、この曲たちはそれを踏まえた上でもそれを超えていく魅力があると思う。これは僕の個人的な思いなだけだけど、サチモスの歌にも、星野源のうたにも時代にマッチしているという魅力はあるけど、それを超えて時代に残る魅力はないと思う。僕より若い世代にはでもこれが永遠に残っていく名曲に聞こえているのかもしれない。普遍的なことを語るのに意味はないかもしれない。そういう話と自分の曲を聴くと、とても拙くて、今すぐ書いたことを全部消してしまいたいと思う。ここででも、あえて残す、というと、それはそれでロマンティシズムにとらわれているようにも感じるし、自意識過剰にも感じる、でも自分のこころからの気持ちのような気もする。

 

自分のあたまのなかにはいまのような葛藤というか混乱が常にあって、それはたぶんいま生きている多くのひとのなかにもきっとあって、自分だけの特別なものではもちろんなくて、それでもやっぱり曲をつくりたいと思うし、それをしないことには先に進めないと思うので、(音楽的にも人生的にも)自分にとっては通らなければならないフェーズだと思って、何が何でもがんばる、そしてその先にしか未来はない、なんて思っている。

 

最近、というか今日最終巻を読み終わった漫画に影響されているのかもしれない。読み返すときっと公開しないと思いかねないので、すぐ公開ボタンを押す。